ご挨拶

はじめに

“ころあい”に興味を持ち、このサイトを訪ねてくださってありがとうございます。少し長いご挨拶ですが( 本当に長いです )私のこと、“ころあい”のことを知っていただけたらと願って書きました。どうぞよろしくお願い致します。

ヨガへの入口 最初は謎だらけ

私が「ヨガ」というものを初めて体験したのは、2009年、ロンドンでのこと。

前知識はゼロ。友人に誘われるがまま、何も考えずにヨガスタジオについていったのがはじまりでした。

後で知ったのですが、このとき私が受けた「ビクラムヨガ」は、ヨガのなかでもかなりハードなもの。 90分終えたときには、ウェアを絞れるくらいの汗をかいて、不思議な疲れと共に放心状態でした。

今思えば、ランナーズハイのような状態だったのかな? もの凄く頭がすっきり冴え渡る感じと、身体を動かした!という満足感で、忘れられない体験になりました。

せっかくだから習慣づけなくてはもったいない……と思った私は、帰国後もヨガスタジオに通い続けることにしました。このときもまだ自分のヨガの知識はゼロに近く、「ヨガ=ビクラムヨガ」だと思ってしまっていたため、ビクラムヨガのスタジオに足を運んでいたのでした。

今考えれば笑えるけれど「自分にとって凄くハードだと感じるヨガを なぜ続けようと思えたのか?」 スタジオではみなさんとてもアクティブで求道的、難しいポーズもこなし、ストイックな雰囲気。

同じようにできればよかったのですが、身体がしなやかでない私にとってはコンプレックスを感じてしまうこともあり、なんとなく遠ざかってしまったのでした。

スタジオのスケジュールをよくよーく見てみると、ビクラムヨガ以外にもたくさんのヨガの種類があるんだということをようやく知りました。( 遅いっ )いろいろと他のヨガも受けてみました。だけれども、なかなか自分にしっくりくるものに出会えず、 私にはヨガは向いていないのかな?と思ったりもしていました。

砂漠で倒れそうな時に泉が見えた奇跡☆

あまりストイックすぎず、やさしく穏やかな雰囲気のヨガクラスがどこかにないかなぁと思っていたとき、不思議なことに、本当にそれを実現してくれる先生との出会いがありました。

「穏やかで素敵な先生のクラスを受けられたらいいな」とぼんやり思い描いていた、イメージそのままの先生でした。

彼女がヨガを通して教えてくれた大切なこと、
「自分を解放すること、そしてゆるめること」。

それは、アーユルヴェーダの哲学やホリスティックな視点を基にした、自分を大事にするセラピューティックなヨガ。

 


そのころの私はいろいろと忙しく、充実はしているけれどメンタル面でのケアが足りておらず、自分が摩耗していることに気づきはじめていた時期でした。

頑張りすぎている自分がいる、という不安。 頑張っている自分をケアできていない、という自覚。 だけど、頑張らないと必要とされ続けないのではないか? という恐怖。 自分のことが後回しな日々。

問題点に気づいてはいたけれど、だからといって、そこからどうしたらよいのか分からなかった。 そんななか、出会うことができた先生のマインドフルなヨガを受けることで、

「まずは、自分が自分に優しくしてあげましょう」 「自分で自分の不協和音に気づいてあげなくちゃ」 「もっと自分を甘やかす時間を持ってもいいんじゃない?」

そんな、今まで考えもしなかった言葉が自分の中にするりと入ってきました。

それはきっと「心と体の連動」を体感したから。身体がゆるむと、心も柔らかくなっていくという考え方です。きっと以前の私なら、こんな言葉を受け止めきれなかった。けれど、先生のヨガを通して身体 がゆるむ度に、「自分はこうあるべき」「もっと頑張らないと」「甘えてはいけない」という頑な気持ちが柔らかくなって、先生がクラスでかけてくれる言葉が身体中に染み渡っていくのを感じるようになりました。

それはまるで、渇いてカラカラになっていた植物が、雨水の恵みを全身に受け、 すみずみまで潤いや栄養を行き渡らせていくよう。新しい自分を見つけたような感覚でした。

 

目から鱗のアーユルヴェーダ。
インドの山奥 ふんどし 一丁 ええぇーーー !!!!

ヨガと深い関係にある「アーユルヴェーダ」。 アーユルヴェーダの智慧には

【 人にはそれぞれの気質・体質があり、またふさわしい食べ物や運動法もそれぞれなのだ 】とあります。

( 2012年・南インドにて )

この当然でシンプルな教えが当時の私にはしっくりきたんです。アーユルヴェーダのことをもっと知りたい!!といろんな本を読みあさりました。

「もしかして、そもそも私にはビクラムヨガは合ってないのでは?」 そう思い当たり、さっそくアーユルヴェーダクリニックの診断を受けに行きました。

「あなたの体質には激しい運動やマラソンは向いてないよ。むしろそういう類の運動はやらないほうがよいと思いますよ」

感覚的に確信した予想は当たり、先生の言葉でものすごく納得。そもそもアーユルヴェーダでは、どんな人も身体全体にじんわりと汗をかくくらいの運動を毎日取り入れることがよい、とされているのです。

( 2012年・南インドにて )

アーユルヴェーダを知る度に、 「そうなの!? そうなの!? そうだったのか〜」の連続でした。

ヨガを続けていくと不思議。 疲れを溜め込んでいた身体はほどけていって、カチコチだった頭もゆるんでいく…………

本で読んだことや、クリニックで処方していただいたことを実践するとアーユルヴェーダがどんどん好きになる。

わたしのなかでフツフツと湧いてくる気持ち【 パンチャカルマを受けてみたい!!! 】 そして 2012年、南インドの奥地の田舎町で初めての「パンチャカルマ」を受けました。 パンチャカルマというのは、アーユルヴェーダの最も伝統的な治療法の一種で、3週間ほど施設に入り、自分に合った効果的なデトックスプログラムを受けていくというもの。 初めてのインドは、驚きの連続でした。パンチャカルマ中の滞在先では、

その​一、【紙がない】ティッシュもトイレットペーパーもない。これ普通。
その二、【携帯がつながらない】
1ヶ月滞在するのに大丈夫なんか? と動揺。 田舎町なので、街に出るのもひと苦労。 もし出かけるなら、押しつぶされるほどギュウギュウの満員バスに30分乗らなければいけません。

( 2012年・南インドにて )

現地の人たちは裸足で生活していて、道では牛が優先。 近くのお寺では僧侶たちが川で祈りを捧げ、寺院ではマントラを唱え、道ばたではおじさんたちが昼間っからチャイを片手におしゃべりしている( いつ働いているの?と不思議でした )。

夜道は真っ暗で、懐中電灯が必要不可欠。

そんな日々の景色の中、インドでの貴重な体験は、自分にとって大きなターニングポイントになりました。

また、何もすることの「ない」時間を味わうことも、パンチャカルマの大事なプロセスだと教わりました。

孵化したわたし

「持続する」ことが子供のころからずっと苦手だった私がヨガやアーユルヴェーダを取り入れた生活を今日まで続けてこられたいちばんの理由は、やっぱり自分が気持ちいいから。

幼少期には大きな病気も経験し、ずっと虚弱体質だった自分が、風邪を引きにくくなったし、心も丈夫になったように思えます。

ヨガとアーユルヴェーダの考えや、これまで指導してくださった先生方の教えをもとに、自分の身体を日常的に調整することで、心地よく暮らせるようになりました。

これからもこのことは、私自身の頼れる味方になってくれると信じています。 日常生活を穏やかな気分で過ごせるということは、自分をとても助けてくれます。

そのことをこのごろ、本当にありがたいなと思うんです。 今は、前よりもずーっと生きやすくなったように感じています。本当に。

以前は、ずっとどこかで辛かった。

幼少期からの刷り込みや体験による思い込みにより、
「私は幸せになれない人間なんだ」「きっとそういう人生なんだ」 というネガティブな決めつけが心のどこかにずっとあったから。

けれど、その潜在意識は変えられるんだなぁ、と今はふと思うんです。 私にも、誰にも、幸せになれる時間が訪れるんだということを、少しずつ学べているように思います。 今の自分でいいな。今の自分がいいな。 やっと、やっと、自分を肯定できるわたしになった。
わたし、今のわたしが好きです。

ゆっくりと、深く息を吸うように。

自分が自分である心地よさを教えてもらって、私自身が続けてこれたから、今度はヨガやマッサージを受けるだけでなく、誰かに伝えることを学んでみたい。

そして、恩師である先生のもとでティーチャートレーニングを受ける機会に恵まれました。

ヨガを「教えたい」というよりは、気持ちいいから、「よかったらあなたも一緒にどうですか?」という思いのほうが近いのです。

マッサージもそう。この心地よさを誰かにも伝えたいなぁと思っていま す。 身体にオイルを浸して、ゆっくりとマッサージを受け、身体中に栄養がいきわたる感覚。

野菜や魚のマリネのように、全身が温かいオイルに浸される感覚は、何とも至福です。ほんとなんですよ〜。

こうして、私は、伝える人になること「ころあい」を始めてみようと思ったんです。

あなたが、妻でも母でもなく、夫でも父でもない、あなただけの、「あなた」という時間をもつことで、やわらかくなれたり、優しさが生まれたらいいなぁ。

ぎりぎりまで頑張って倒れてしまう前に、頭から湯気が上がりそうなほど思い詰めてしまう前に、自分で自分を緩めてあげる小さなきっかけを持てたなら、今よりも何かが良くなる、きっと。

そう、そんなふうに、思うんです。

足りないでもない、多すぎるでもない、​ちょうどよい。
ちょうどよい、よい塩梅、それって良いと思いませんか?

あなたにとってのちょうどよい【 ころあい 】を見つけるためのちょっとしたお手伝いが、私にできればいいな、と思っています。

いろんなことがあってたどり着いた今のわたしです。 これからも沢山のことがあるでしょう。

これまで教えをくださった先生方に、一緒に学んでいる仲間に、
いつも励ましや元気をくれる友人たちに、そして大切な家族に。

ひとり、ひとりに
「 ありがとうございます 大好きです ♡ 」と気持ちを添えて。

起きたこと、出会った人、これまでの全部、全部があったから
今のわたしが在ることができています。

その気持ちをしっかり大事に。さぁ、ここからはじまります。 みなさまどうぞ、よろしくお願いいたします。 私の気持ちを綴った長いお手紙、読んでくださってありがとうございます。